★狸のしっぽ★ (日本編)  2013年

     
NO.27 2013.1.8  <祈りつつ、愛を学んでゆこう>

自分がやってきた色々なことの全てに、今日までの私の人生のすべてに、
「それでいいんだよ。」と、言ってあげようと思う。

誰だって、その時自分にできる精一杯のことをやってきている。
それが、錯覚だったり、間違いだらけだったとしても、
いじらしいほどひたむきに、頑張って苦労して努力している。

誰だって、愛されたいし、愛を与えたいと思っている。
だけど、誰もがみんな寂しくて、誰もがみんな傷だらけ。
無力な弱い子供の時の心のままで、不安になったり、恐れたりしている。

私にも、色々な恐れがある。不安になったり寂しい気持ちになったりもする。
いくつもの欠点があるし、気づかずに人を傷つけてしまうこともある。
醜い感情が湧いてきて、自分で自分を責めたくなったり、恥じたりもする。

そして、まるで自分のすべてがだめなように思えて、落ち込んでいたけれど、
今はそういう自分は、自分の一部にすぎないと、気づけるようになった。
「たいした成長です。よくぞここまでこれました。」と思う。


そして今、10年以上前に作った歌の歌詞が心にひびいてくる

  もし君が、ぼくの弱さと醜さを知っても、
  君は変わらずに友達でいてくれるかい。

  君は、眼差しにやさしさを溶かして 
  ぼくを暖かく見守っていて欲しい。

この詩を作った時には、自分を受け入れてくれる誰かを強く求めていた。
でも、今は、自分の家族や友達が、私にそう問いかけているように思う。


私達は自分で思っているよりも、ずっとずっと素晴らしい存在だ。
私は、それを声を大にして何度でも言いたい。
誰もがみんな、無限の可能性と、素晴らしい個性を持っている。

私達の心の奥深く、隠されている色々な能力が、現れてきますように。
表現されていない美しさが、現れてきますように。

いのちの輝きが現れる前に、それを隠していたものが崩れ落ちる、
そのことを恐れる気持ちが薄れて、勇気がわいてきますように。

私は、そう祈り続けている。


「愛」について学ぶ機会があった。
今まで自分が「愛」と思っていたこと、「良いこと」と思っていたことが、
ほとんど頭で考えた、自分にとって都合のよいことであったと、気づかされた。

相手に何も期待しない、ハートからわきあがってくる「愛」が本当の愛だとす
ると、自分が体験してきた愛、自分が与えてきた愛が、ほとんどそうではなか
ったと思った。

でもそれは必要なプロセスなのだと思う。
「愛」って何かよくわからない。でも、それを求めずにはいられない。
だからこそ、色々なことを体験しながらそれを学び続けてゆくのだと思う。

私は、誰の心の奥にも、つきることのない愛の泉があることを信じている。

その愛があふれてきて、私達を充たし、世界を充たしてゆきますように。

その祈りで自分を支えて、正直に自分を見つめて、進んでゆこうと思う。

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これからは、うそやごまかしの通用しない世の中になってゆく。と感じる。

私自身の身にも、今までごまかしたり保留にしてきたことを、問われることが
起きてきて、正直、辛かったりする。
できる限り痛み少なく経過して欲しいと願わずにはいられない。

でも、結果的には、すべていいことしか起きないのだと確信をもって言える。
そして何が起きても、明るく、笑い飛ばして、楽天的に生きてゆこうと思う。

絶対大丈夫♪ すべてうまくゆく♪ (不安になったら、この歌を聴いてね)



NO.28 2013.6.8  <しゅっぱーつ>

こつこつ こつこつ 地道に続けてきたことが、自分を信頼する力になる。
一つ一つの体験は、小さなことであっても、ふりかえってみると、大きな実績
として私を支えてくれる。

以前から、色々と学んできたけれど、今年の5月26日から「身体と心とオーラの
体験型心理学 上級コース」を学ぶことになった。
その初日の日、講師である山本美穂子さんが、ヒーリングのお手本を見せてく
ださっていた時、私の心の中に、喜びがわいてきた。
「私はヒーリングが好きだなぁ」という思いで胸が一杯になったのである。

なんのことはない、私がこの20年間やり続けてきたことは、まさにそれであっ
たと、しみじみ実感する。
それでも目に見えないことなので、自分はちゃんとやれているのだろうか?とい
う思いがあって、プロのヒーラーにはならないという思い込みがあった。

でも、もし完璧なヒーラーになろうとしたら、一生なれないと思う。
それよりも、今自分にできることを誠心誠意をこめて、やってゆくことで、育
ってゆけばいいと思った。
それでも、自分が関わる人を傷つけることだけはあってはいけない。そのため
に自分の心を癒し、自分の心を見つめ続けてきたのだった。
それが「だいたいOKだ。」と、自分が思えるところまで来たということだ。

ということで、さっそく「マッサージベッド」を注文した。
そしてとりあえず、百人の人に、おためしで私のヒーリングを受けてもらおう
と決めた。それによって体験を積んで、腕を磨いてゆこうと思う。

私は何かが見えたり、聞こえたりするタイプではないので、自分のヒーリング
でどんなことが起きているのかわからない。それでなかなか自信が持てなかっ
たわけだけど、今までを振り返ってみると、いいことが起きていたと思う。

私がなりたいヒーラーとは、深い祈りと共に心を開いて、その人に寄り添い、
そこに居ることができる人。
そして私という媒体を通して、目には見えないけれど、宇宙に満ちている光が
その人に届き、その人が自分を癒す力を取り戻してゆくのをサポートする人。
そして私達が、お互いにヒーリングすることで、つながりを深めてゆけること
を伝えてゆきたいと思う。

ヒーリングは誰にでもできることだし、実際にやってきていることでもある。
それでも、意識してそれを学び、練習することで、より深くより多くの人を癒
してゆける。
まず自分、そして周りの人達に、やさしく触れることは、この世界に触れてこ
の世界を癒してゆくことにつながっている。

最近の体験で忘れられないことがある。

「紙芝居」のグループの仲間の一人が、体調が悪くて参加できなくなった。
彼女は、若くて少しだけ演劇のグループにいたこともあるので、紙芝居を演じ
るのがとても上手だった。
初めての活動の日「しゅっぱーつ」という幼児向けの紙芝居を、彼女が読んだ
時に、張りがあって美しい声と豊かな表現力に、仲間の全員が感動した。

親子ほど年が違う彼女の存在は、私達のグループの希望の星であったし、彼女
も私達と一緒に活動することを心から楽しんでいた。

早く良くなって一緒に活動したいと願っている彼女を励ますために、紙芝居を
持ってお見舞いに行ったり、少しだけお手当てをしていた。

体調がすぐれなくて辛そうな時もあったけれど、喉の調子が良くなって声が出
る時があった。
その時私は、大好きな「セロひきのゴーシュ」の紙芝居を彼女のために演じて
から、彼女にも演じてもらった。それがすごく上手で、狸とか登場する動物が
生き生きとしていて、本当に楽しかった。

彼女は絵を描くのも好きなので、私が文章を書いて、二人で創作紙芝居を作ろ
うと計画を立てたりもした。
その時は、アイデアがどんどん湧いてきて、二人で盛り上がって、大笑いして
最高に楽しい時間を過ごした。

3月の終わり頃から、彼女にメールをしても返事がこなくなった。そして、5月
になって、彼女のお父さんからメールが来て、彼女が亡くなったことを知らさ
れた。
抗がん剤による治療を受けて辛いなかでも、希望を持って、今ここでやりたい
ことをやって生きていた彼女は、苦しむことなく安らかに旅立って行ったと知
らされた。

ヒーリングによって病気による痛みを少しは緩和できても、いのちのことは、
神様まかせなのだと思う。

そして、いつだって「一期一会」

彼女の「しゅっぱーつ」という声を思い出す時、私は、恐れやためらいを感じ
つつも、勇気を出して心を開いて、今ここを、大切に生きてゆこうと思う。

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私が今学んでいるのは、バーバラ・アン・ブレナンの「光の手」や「癒しの光」
に書かれているようなことだ。
それからテキストとして「防御なき自己」スーザン・テセンガを読んでいる。
この本は、複雑でわかりずらい自分という人間についての理解を深める上で、
私にはとても役に立った。

とはいいながら、私のお手当て(ヒーリング)の下地にあるのは、野口整体の
「愉気」。頭をポカーンとして、愉快な気で自分を満たして、相手が当てて欲
しいと思うところに手を当てるだけ。というシンプルなもの。
本当はこれだけでいいやと思っていたのだけど、人間存在への好奇心から、
ここまで来てしまった。「うーん。実に面白い。」



NO.29 2013.9.13  <紙芝居三昧の日々>

8月31日から9月1日、群馬県の伊香保温泉で「全国紙芝居まつり」が開催された。
27年前から、2年に一度開催されて、今年は13回目。500人ほどが参加した。

紙芝居に出会って五年ほど、色々と活動してきた私にとって、紙芝居の世界の
面白さがぐーんと広がった、夢のような二日間だった。
私が紙芝居に出会ったのは、「紙芝居文化の会」の紙芝居講座がきっかけだっ
たので、今までは、舞台の扉をあけて、ぬいた紙芝居はきちんと差し込む、と
いう演じ方をしていた。
今回、分科会「演じる」では、そういう演じ方をされた方もいれば、扉がはじ
めから開いていて、そこに幕紙を入れ下からライトで照らしていたり、紙芝居
を差し込まずに台本のように読むという演じ方もあった。
基本を学んだ上で、後は、観客により楽しんでもらうために、色々工夫をして、
もっと自由に演じていいのだと思った。

この紙芝居まつりは「プロもアマも同じ土俵で学びあうこと、出版、手作り、
保育、子育て、介護、街頭など、立場、分野を超えて、交流し高めあうことを
目標にすえている」(宮崎二美枝さんの言葉)ところが素晴らしくて、私が今ま
で知らなかった多種多様な紙芝居、そして演じ方が体験できたのだ。

そして私は、東京から来られた女性の「紙芝居師」の方と同室になった。
昔ながらのスタイルで、自転車に紙芝居をのせて、神社などで演じていること。
さらに、水あめや、かたぬきも売っていると聞いた時には、それを見に東京へ
行きたいと思った。
それはまさに私の紙芝居人生の原点だ。子供の頃、自転車でやってくる紙芝居
屋のおじさんが楽しみでたまらなかったのだもの。
そしてその方も、語りを磨くために「落語」を学ばれたということで、同じこ
とをやってきた私にとって、話はいやが上にも盛り上がっていった。

やがて夜の宴会が始まった。100畳ぐらいの大広間にびっしりとお膳がならべら
れ、そこに「狐の嫁入り」の行列が入ってきた。
それは高崎市みのわの里で毎年行われているものを縮小したものであったが、
狐の顔にメークした人達(その中に、紙芝居の講師の方が二人混じっていた)や
狐のお面をかぶって舞いを舞う人もいて、面白くて大喝采だった。

そして夕食の後は、「とことん紙芝居」である。
四つの会場に分かれて、色々な方が色々な紙芝居を演じるのである。
プログラムを見て、どうしても見たい人に印をつけて、会場を移動して見てい
たけれど、残念なことに、10時頃になると眠気が襲ってきて、見たかった人の
を見れないまま、部屋に戻って寝てしまった。
同室の四人の人は11時頃に戻って来たようだった。

二日目の朝、早く目が覚めて温泉に入って、朝食までの間、前日見ることがで
きなかった同室の作家さんのオリジナルの作品を見せていただいた。
幸運なことに、五人部屋で一緒になった方が、私達がディサービスで演じてい
る紙芝居の作者で、制作の時に、どれほどの手間をかけ、心を込めて創ってい
るのかがわかった。
また、オリジナルのものと、印刷され出版されているものを比較してみること
ができて、とても勉強になった。
色彩や絵の構図など、私がいいなと思っていた作品には、創り手のなみなみな
らぬ努力があることがわかったことで、今まで以上に一作一作の紙芝居に対し
て、愛着がわき、演じてゆく励みとなった。

朝食の後は、紙芝居に関する展示などのコーナーに行った。
その会場では、紙芝居文化の発展と、演じ方の指導に尽くされてきて、2011年
に亡くなった右手和子さんが、紙芝居を演じている映像が放映されていた。
小さな画面ではあったけれど、右手さんの語りに引きこまれ、美しい紙芝居の
画面にくぎ付けになった。
演じられていたのは「とうすけさん 笛をふいて!」という作品で、心を深く
ゆさぶられ涙が流れた。
そして、どうしてもこの紙芝居を手に入れたいと思った。
幸運なことに、同室の方が、この紙芝居を発行された人を知っているというこ
とで、後日送っていただけるようにお願いした。

9時からは、分科会「つくる」に参加した。
この分科会に参加したのは、私の好きな紙芝居の作家である長野ヒデ子さんが
講師なので、長野さんにお会いしたくて申し込んだのだ。
ユーモアあふれる斬新なアイデアで、楽しい紙芝居を創られる長野さんは、と
ても若々しくステキな方だった。
「つくる」という講座では、テーブルの上に、広告のチラシとはさみとのり、
クレヨンとマジックが置いてあり、これらを自由に使って、自己紹介の紙芝居
を30分で作ってください。ということで四枚の画用紙が渡された。

「えーっ。できるだろうか?」と思う。でも迷っているヒマもない。
周りの人は、「つくる」ことに慣れているのか、さくさくと作っていく。
とりあえず、思いつくままに、やり始めてみるけど、絵が描けない。下手だ。
唯一かける狸の絵を画面一杯に描く。最期の一枚はこれでよしだけど、、、。
完全な落ちこぼれ状態となった。

そして、作品発表の時間がきた。紙芝居作家やべみつのりさんの「つくる」の
講座に参加した人達と一緒になって、次々に作品が発表されていく。
みんな演じ方も上手で、ユーモアがあって楽しい紙芝居を作られていた。
そりゃそうだ。そういうことをやってきている人達が参加しているんだもの。
私は自分の作った紙芝居を二つにたたんで、膝の上に隠すようにしていた。
今回は、このまま帰ろうと思っていたりして、みじめな気持になりかけていた。
でも、ふと気づいた。
色々な自己紹介があったけど、大抵は自分の名前ややっていることなどを紹介
していた。でも私のは誰のとも発想が違う。ということに気づいたのだ。
それで、勇気を出して、最後のぎりぎりのとこで、発表することができた。
ということで、長かった「紙芝居まつり」がひとまず終わったのである。

でも、私の中では、さらに「紙芝居熱」は続いていった。
「紙芝居ころころ座」の仲間に、体験報告をしたり、「紙芝居まつり」で出会っ
た面白い紙芝居を演じてみたりした。
さらに幸運なことに、9月7日に、手作り紙芝居を演じる、佐藤まもるさんの公演
を、仲間と一緒に体験できたのだ。
私が言葉で語っても伝えきれない紙芝居体験の素晴らしさを、佐藤さんの語りと、
ステキな紙芝居が、伝えてくださったことが、とても嬉しかった。


伊香保から帰って、数日後に、頼んでいた紙芝居が届いた。
「とうすけさん 笛をふいて!」(原作 香山彬子 脚色 東多江子 絵 渡辺淳)
発行者 河田由紀子 発行所 こすもす である。
24場面で、舞台にぎりぎり収まり、とぎれずに演じられるのが嬉しい。

この作品は、ナイという笛をふく少年と、ハヤブサの仲間のチョウゲンボウとの
出会いと別れを描いた児童文学として出版され、その後、日本野鳥の会の、音楽・
朗読劇として、上演されたものでもある。
そして、その時作曲されたCDもあると知って、私はその音色を聴きたくなった。

ナイというのは、ルーマニアの民族楽器で、パ-ンの笛とよばれるものの一種である。
まるで風のような、すがすがしい音色は、この作品の世界にぴったりである。

ということで、牧羊神パ−ンの笛の音に心癒され、とうすけさんのように、
美しい波動を世界にひびかせてゆきたいなと思う、今日この頃である。



NO.30 2013.12.25 <ハーモニーヒーリング>

この一年を振り返って、今ここに居る自分にかけてあげたい言葉は、
「ありがとう。いい一年だったね。あなたは素晴らしいよ。よくやったね。」

そう心から言えるようになれたことが嬉しいです。

今私は、ヒーラーとしての自分をさらに育てていくことを目標にして、学び続
けています。

はじめは絶対できるはずがないと思っていた遠隔ヒーリングも、何回もやって
いるうちに、いつのまにか出来るようになってきました。
人体解剖図を見ているうちに、体の仕組みの素晴らしさに感動して、肉体への
感謝の気持ちが湧いてきたりしています。

私にとってヒーリングとは、自分に出会ってゆく心の旅をサポートするもの。
私自身も、その旅の途上にあり、課題をかかえてもいるけれど、自分が体験し
たことを生かして、縁あって出会う人達をサポートしてゆこうと思っています。

ヒーリングといえば、症状を緩和したり、治すものという捉え方をしたくなり
ますが、結果としてそうなることがあっても、それを目標にはしていません。

病気や不調和、さまざまな問題は、自分をより深く知ってゆくために起きてい
ることと捉えて、自分らしく生きてゆくことをじゃましているものに気づいて
ゆくお手伝いをさせていただこうと思っています。

私が目指しているのは、心と体が、より自由になり、楽になってゆくこと。
自分を肯定し、受容して、豊かに表現してゆける方向へと進むことです。
調和を取り戻してゆくヒーリングということで、「ハーモニーヒーリング」と
名付けました。


先日、あるイベントの中で、過去の自分に出会うという瞑想があって、長年置
き去りにしてきた自分の中の子供との感動的な出会いがありました。

何かを恐れている子供の自分をイメージしてくださいと言われた時に、過去の
あるシーンが思い浮かんだのです。
それは、幼い私が親に連れられて、楽しいお祭りの縁日に行くと、戦争で腕や
足を失った人が、白い服を着て土下座して物乞いをしている場面です。
幼い私は、その姿を見るのがとても恐ろしかったのに、大人達は見て見ぬふり
をして通り過ぎるのです。

私は、悲しさ、無力さ、絶望感を感じ、怯えて心を凍りつかせて立ちすくんで
いる幼い私の手をにぎって、「恐かったんだね。どうすることもできなかった
んだものね。でももう大丈夫だよ。恐くないよ。」と言ってあげました。

そしてその時私は、幼い私が、みんなが幸せに暮らせる平和な世界になること
を、強く願っていることを感じて、感謝の気持ちで胸が一杯になりました。
「ありがとう。あなたが心の中に平和への願いをともし続けてくれたことで、
今私は、その願いを生きているよ。大人になった私は、ずっと、世界の平和の
ために祈り続けているよ。もう私は、無力ではないよ。」


私には長年問い続けてきたことがありました。それは、
「人の心に寄り添いたいと願っているのに、辛い状況にある人を見るのが恐い、
関わるのが恐い。と感じてしまうのはなぜなのか?」
「色々なことをやり遂げることが出来るのに、何かを恐れて、自分を弱い無力
な存在のように感じてしまうのはなぜなのか?」ということでした。

今回の体験は、そのことへの一つの答のように思えました。
心の奥に置き去りにしていた幼い私に出会い、癒しと感謝の光で包んであげた
ことで、私は、自分が少し強くなれた感じがしました。

私達の心の奥には、どんな世界が広がっているのでしょうか?
それを知ってゆくことへの恐れはなくなりませんが、勇気を出して一歩踏み出
せば、必ず、素晴らしい自分に出会えます。

私と一緒に、人間の可能性と素晴らしさをもっともっと知ってゆきませんか。

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心の奥へと旅をしてゆく時に、今自分が、どの辺に居るのかチェックできる
地図があると助かります。
今私が参考にしているのは、「防御なき自己」スーザン・テセンガ著 の中の
「人間の精神の地図」です。

子供としての自己、大人の自我、魂のレベルとわかれていて、さらにそれぞれ
に、マスクセルフ、ローワーセルフ、ハイアーセルフという3つの自己があり、
どのようなふるまいをする状態は、どこの自分かがわかります。
今までは、自分の中に、矛盾するさまざまな人格があって、よくわからなかっ
たのが、この本を読みこの地図を見ることで随分理解できるようになりました。

それから人体解剖図も自分を知ってゆく地図として面白いものです。

おためしでさせていただいているヒーリングも、のべ70回。
クライアントさんに育てられることを、実感しています。